式内 許曾志神社
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概 要
社号 式内社 出雲国秋鹿郡 許曾志神社
読み:古 コソシ、現在 こそし
江戸時代は「白髭大明神」と称していた
所在地 島根県松江市古曽志町字松尾466
旧地名
御祭神 猿田毘古命(さるたひこ のみこと) 天宇受売命(あめのうずめのみこと・『日本書紀』では天鈿女命と表記)
例祭日 10月10日
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
出雲国 187座(大2座・小185座)
秋鹿郡(アイカ):10座(並小)
『出雲国風土記』「許曽志社」
近代社格制度 旧県社
創建 年代不詳
本殿様式 大社造 曽木葺
境内摂末社(祭神)
火除神社・松尾山荒神・田中荒神
一口メモ
宍道湖の北を東西に走る幹線道路国道431号線の山寄りに並行して走る広域農道の古江小学校左。鳥居があったが車では無理なので通りすぎて、左手に駐車場があることが分かった。参道石段に狛犬の他に猿、酉(鶏)がいっぱい並んで狛猿、狛鶏というのか正式名称は分からないが、祭神サルタヒコに因んだものかお猿が多い。賑やかで楽しくなる。
歴史・由緒等
由緒
創祀年代は不詳であるが出雲国風土記及び延喜式に記された古社で祭神は当地方開発の祖神であるとともに農耕、延命長寿、結婚、安産交通安全の守護神として尊崇されている。
大正十一年七月由緒古き故を以て「村社」から一躍「県社」に昇格になった。
往古は現鎮座地の南、記念碑建立地周辺(地名を元宮と言ふ)が社地であったが貞享元年(1684年)4月現地へ奉遷した。「社頭掲示板」
『全国神社祭祀祭礼総合調査』 神社本庁 平成7年の許曽志神社由緒略記によれば、
御祭神猿田毘古命は「狭田国=さだのくに」の開発の祖である佐太大神と同一神であり、その御神績から、産業振興、農耕の守護神として、記紀に記された天孫降臨の道案内を務めたことから「道しるべ」-交通安全の守護神として、また、この時に出会われた天宇受賣命と結ばれたことから「縁結びの神」-結婚安産の守護神として、また、古くから「白鬚大明神」とも称し奉り延命長寿の守護神として尊崇されている。創祀年代は不詳であるが、「出雲風土記」には「許曽志社-在神祇官」と記され「延喜式」には「許曽志神社」として記されている古社である。古くは現鎮座地の南方約300メートルの地(記念碑建立地周辺-地名を「元宮」という-昭和60年圃場整備事業により畑地が田地にかわった)に鎮座されていたが貞享元年(1684年)現鎮座地「松尾山」へ奉遷した。創祀以来当地方民はもちろん、歴代国主の崇敬篤く、多くの神領があったが中古没収されてわずかとなり、その名残りが地名に残っていた。(宮田、神楽田)松平家が藩主となってから更に敬神の志篤く、初代直政公も度々参詣したとの文書が残されている。三代綱近公は眼病の平癒を祈って自作の天満宮木像を奉納、同時に公の夫人は羽子板を寄進した。この木像と羽子板は当社の社宝として保存されている。また、社殿の建立修復に際しては藩費の支出、貸与、収益興行の免許等の特権の付与のあったことも諸文書に記されている。明治5年3月「村社」に列せられ、大正11年7月には由緒の古いことから一躍「県社」に昇格になった。昭和59年は現「松尾山」へ奉遷以来300年に当たる年であったので松尾山奉遷300年祭を斎行、元の宮地址へ記念碑を建立し、「許曽志神社由緒記」を刊行した昭和63年4月には社務所を建て替え新築した。次期修復遷座祭は平成10年の予定である。
「延喜式神社の調査」さんより
境内・社叢
鳥居 参道(神社側から)
石段
酉(鶏)
手水舎 随神門
猿・酉
猿
拝殿 拝所? 拝殿扁額は「白鬚神社」
本殿
拝殿右手に会所か?あるいは社務所だろう。それにしては立派な造りで注連縄があるので境内社かも知れないが扁額はなかった。
境内社 脇に猿6体(石段のお猿は新しいのでかつてのもの?)
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「延喜式神社の調査」さん、他
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